『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』鈴木忠平

文藝春秋 (2021)

その事件は2007年の日本シリーズで起きた。8回まで1人のランナーも許さず、あと1イニングでパーフェクトゲームを達成する直前、中日ドラゴンズの山井投手がマウンドを降りたのだ。交代を決断したのはその試合に勝利して優勝監督になった落合博満だった。

「あり得ない采配……」

日本一になったにもかかわらず、落合は激しいバッシングを受けた。とても僭越なことながら、プロ野球を長く楽しんできたファンの1人として、あのゲームを視聴していた私もひどく落胆し不審に思ったことを覚えている。「プロスポーツが観客の存在によりなり立つショーであるなら、その選択はあり得るか?」

時を経て、本書に出会った。

ナゴヤドームのベンチやブルペンでかわされた生々しいやりとりを読み、数年前に起きた「布石」のことを知るにいたって、心にあった霧は晴れた。そう、濃霧を一閃にて切り裂くがごとく、大宅壮一ノンフィクション賞に輝く著者の筆は鋭い。

落合博満は野球好きなら誰もが知っているビッグネームだ。3度の三冠王という記録に並ぶものはいない。監督としても4回のリーグ優勝を成し遂げている。王や長島と並び称されていい野球人なのだが、プロ野球界にあってその存在は異質である。「オレ流」と称される独特の個人主義が日本のスポーツ界では白眼視されることが多く、どこかアンチヒーローの空気が漂う。

同調圧力が強い日本の社会において、団体競技の選手は特に強い圧を受ける。その圧に抗い続けた落合博満は選手時代にも増して監督としてはファンからも嫌われることがあった。

「なぜ、彼は嫌われるふるまいをするのか?」

本書はスポーツ紙の記者として落合博満と接した著者、鈴木忠平が抱いた疑問の解答書と言えるかもしれない。2004年から始まる監督としての生き様について、選手やコーチからの目線を交えながら緻密に描かれたドラマは胸焼けするほど濃密だ。

チームを勝たせるために一切の情を排し、2007年にはパーフェクトゲーム目前の先発投手を交代させるという前代未聞の采配により、ついに落合監督は目的を達成する。その結果、彼が手にしたものは何だったのか?

テレビなどで見る落合博満のインタビューには熱がない。見るものを突き放すがごとく彼の言葉は投げやりで冷たく聞こえる。まるで、身の内にたぎる熱を決して外には漏らすまい、とするかのように。その熱に触れる機会を得た筆者が、恐れおののきながら描いた「オレ流」の真実は凄絶で哀しい。

谷垣吉彦