『ポール・ヴァーゼンの植物標本』 ポール・ヴァーゼン

リトル・モア (2022)

東京の古道具屋「ATLAS」の店主が、南仏の蚤の市で見つけた小さな箱。そのなかには100枚ほどの花の標本がひっそりと収められていた。まるで絵を描くように枝葉や花片がていねいに台紙に配置され、ごく小さな薄紙で留められている、あまりに美しい植物標本の数々……。

美しい標本と、胸をしめつける堀江敏幸の掌編との二重奏。堀江氏書き下ろし「記憶の葉緑素」所収。
1世紀の時を経てなお残る、花々のかすかな色。指先の気配――。褪色の味わいもそのままに、すべてをカラーで掲載。花は丸く、葉も厚みがあり、フランス刺繍のよう。繊毛はきれいに整えられ、茎は美しいカーブを描き、何本かの茎がクロスしたりずらして並べられたり。台紙に収めるためだけではない、無名の作り手の気遣いと美意識を感じる。

添えられた手書きによる学名や地名が作品の優美さをより際立たせる。学術的なものとアートのあわいにあるような標本に挟み込まれているのは、作品から着想を広げた堀江敏幸氏による短篇。庭造りの仕事も手がけるデザイナー黒田益朗氏の造本と三位一体となった、閑かで凛とした佇まいの逸品。

ポール・ヴァーゼンという女性が集め、丁寧に紙に留めた簡潔で品の良い押し花の写真は、細かい葉脈や根、柔毛、花びらのちぢれを読者の前に詳細に明らかにする。添えられた堀江敏幸の静謐な短編は、時間というものを長くも短くも感じさせてくれる。植物標本の本に相応しく、記憶と、残そうとしたもののずれが、想像力に働きかけてくる。 

著者は手作り図鑑を創ったのかもしれないが、これを詩集として見ることもできるだろう。このような本が出版されたことに敬意を覚える。ささやかな祈りに似た押し花仕事から続くバトンが、多くの手と判断を経て手渡され、今ここに届いたことに奇跡のどよめきを感じさせる一冊。植物標本95点を収録し、巻末に採取地と学名・和名の索引つき。掌と心に、ちょうど落ち着くサイズの本だ。