『掌に眠る舞台』小川洋子

集英社 (2022)

今日もどこかで舞台の幕が上がる――。出てくる人々は皆輝き、浮き足立っている。あるいは余韻に浸ってまどろんでいる。

工場の脇の路地に置かれた工具箱。その上で、スパナやネジやビスを躍らせて、たった一度だけ観た本物のバレエを再現して遊ぶ少女と、その様子を見守る“縫い子さん”の小さな舞台「指紋のついた店」から、本書の扉は開かれる。

「ユニコーンを握らせる」の主人公は、遠戚のローラ伯母さんの家に泊まった「私」。かつて女優だったという伯母の部屋の食器には、奇妙なことに舞台〈ガラスの動物園〉の台詞が書かれていた。伯母はそれを見事な言い回しで演じる。いつしか私は、その観客になっていた。

事故に遭い、受け取った保険金で「レ・ミゼラブル」全79公演のチケットを購入し、毎日通い続ける「私」と、その分身のような大劇場の天井に住むという女性との不思議な交流を描く「ダブルフォルトの予言」。

観劇せず、プログラムのみを買い、楽屋口で俳優を待ち受けサインをもらう女性「花柄さん」の孤独な死。部屋で見つかったのは30余年もの時間の堆積物だった。

「いけにえを運ぶ犬」は、青年が主人公の異色作。演奏会で聴いた〈春の祭典〉の不穏なファゴットのメロディーは、幼少期に通った〈馬車の本屋〉のラッパの音色に似ていた。不意に苦い思い出がよみがえる。それは僕だけが知る邪悪な秘密を暴くかのように鳴っていた。

舞台にまつわる全8編は、彼方とこちら側で生まれる特別な関係を描く。大胆にして緻密、繊細な構成が美しく、空想ではないリアリティーがある。読者は極上の短編を読むのではなく、“ただただ観ていればいいのですよ”とでもいうように……。