『夜市』 恒川光太郎

KADOKAWA(2008)

今宵は夜市が開かれる。夕闇が迫る空にそう告げたのは学校蝙蝠だった――冒頭のこの一節から読者を異世界へと引きずり込む著者の力量たるや……。

本書には表題作である短編小説「夜市」に加え、同じく「風の古道」が収載されている。「夜市」は今やファンタジー界の巨匠と言える恒川光太郎のデビュー作である。この作品でいきなり日本ホラー小説大賞を受賞し、直木賞候補にまで推された著者の活躍はその後華々しい。本書に収載されている2編はいずれも異世界を描いたファンタジー小説である。と言っても、「ドラゴンと魔法の世界」などではなく、ありふれた日常のそば――たとえば路地裏などに潜んでいそうな亜空間を舞台に物語は展開する。

「夜市」で描かれるのは異世界の魑魅魍魎が集まる市(いち)。そこに奇怪な商品を並べるのは永久放浪者や1つ目のゴリラ、人攫いといった面々だ。主人公の女子大生は知り合ったばかりの若者に連れられて夜市を訪れる。子供のころにその市でなした選択を悔い、命がけの贖罪を望む若者は市でなにを買おうとするのか――描かれる人の業は悲しくも端正である。同じく「風の古道」も異世界における選択の物語と言える。主人公の少年は親友を伴い、幼少時に一度迷い込んだ神々の道に分け入る。そこで誤って命を落としてしまった親友を蘇らせるべく、秘術を行うという「雨の寺」を目指す。

同行するのは「古道」で生まれたがゆえにそこから出られない青年。この物語の終焉もやはり、哀愁をはらんで美しい。 この2編に限らず、恒川光太郎の作品はどれも言葉の格調が高く文章の魅力を強く感じる。少し古い時代の文学にも通じる文体が物語の幽玄を深め、読者をひととき、異界の市や神々の古道に誘ってくれる。本書は恒川ワールドへの入口にふさわしい一冊である。

谷垣吉彦