『密やかな結晶』小川洋子

(講談社 2020)

大切な物の記憶がある日突然、人びとの脳裏から一斉に消えてしまう島の物語。鳥、切手、帽子、カレンダー、次第には身体の部分さえも……。しかし、なかには記憶を残す者もいて彼等は秘密警察に連行されていく。まるでチス・ドイツによって強制収容所に連れて行かれるユダヤ人のように。

主人公の「わたし」は小説家として言葉を紡いでいた。少しずつ空洞が増え、心が薄くなっていくことを意識しながらも、消滅を阻止する方法もなく、新しい日常に慣れていく日々。しかしある日、「小説」までもが消滅してしまう。それでも一語一語、たどたどしく言葉を連ねながら物語を書こうとする。

本書のタイトルの意味を著者はこう語る。――あらゆるものを奪われたとしても、大事な手のひらに握りしめた、他の誰にも見せる必要のない、ひとかけらの結晶。それは何者にも奪えない。心の中にある非常に密やかな洞窟のような場所に、みんながそれぞれ大事な結晶を持っているイメージだと。「消滅」を描きながらも、実は「消滅しないこと」を描いているように思えた。